Langkah demi langkah

インドネシアのあれこれを書いていきます

感は当たる

高校からの知人がいる。友達だったけど今は知人に格下げ。

 

彼女はなんでも笑いに帰るのが上手く、高校時代はクラスの中心的存在だった。

けど、彼女の冗談は時には人をディスる笑いもあって、ちょっとな、と思う時もあった。

 

そんな彼女となぜか仲良くなった。彼女は私のことを友達と思っていると思う。けど、私は何故私と仲良くしようと思っているんだろう、とちょっと不思議な感じのまま今まで来た。

 

彼女は大学を出て、先生というなりたい職業について、今も働いている。

私のように仕事が続かない、非正規で働いているのとは大違いだ。今は先生の労働環境も悪いし、それでも熱意を持って子供達を指導している彼女はすごいなぁと思っている。

 

私は地元を出て暮らしているので彼女と連絡を取り合うことは滅多にない。会うのも数年に一度くらいだ。

けど、たまに会う彼女の話はいつも、いかに自分は他のクラス担任よりも自分のクラスをまとめるのが上手く、生徒や保護者から信頼を得ているか、という自慢が多い。というかほとんどだ。

意地の悪い私は正直お腹いっぱいだ。きっと彼女は「褒めて褒めて」という自己顕示欲が強い人なんだろう。

 

私の子供の一人は反抗期が酷かった。もう一緒に暮らせないと施設に入れることも考えたり、児童相談所やいろんなところに相談した。

一方で、子供には反抗期はあるもの、という思いもあった。

 

知人と会った時に、どの程度のことを話したのか忘れたけれど、子供の反抗期が酷いことを話した。それは彼女のことを信用していたからだ。信用できない人に自分が困ったことなど話せるわけがない。

でもそれが失敗だった。

彼女と会うたびに、「あなたのお子さんは反抗期が酷かったじゃない?」ということを冗談に包んで蒸し返すようになった。

 

先日、何年かぶりに彼女に会った。

彼女の上のお子さんは高校受験では第一希望に落ちた。けれど大学受験では希望の大学に入れたらしい。下のお子さんは地域一番の進学校に合格した。

 

なのできっと有頂天だったんだろう。

今までは仕事の自慢ばかりだったんだけれど、この前は自分の子供自慢ばかりだった。

なんでも、二人のお子さんは反抗期がなく、素直で優秀で先生からもウケが良く、自己主張もせず、兄弟仲も良く、言うことがないらしい。

子供達がどれだけ優秀かなどをずーっと話していた。

 

そしてまた出た。「あなたのお子さんは反抗期が酷かったじゃない」発言。

どうも彼女は自分は優秀な教師で、自分の子供たちも優秀だと言う自負から、私の子育ては成功しているけれど、あなた(私)の子供は反抗期がひどくて、性格も悪く、友達も、付き合ってくれる異性もいないでしょ、と決め込んでいたようであった。

 

なので、私の子供たちには、子供たちを大切にしてくれる人がいること、勉強の面でもかなりイイ線を行っていることを、彼女が聞き出すので素直に話したところ、彼女が思っていた私の子供像とはかけ離れていたので、明らかに「意外」と言う態度を出した。

 

わかっていたんだよね。かなり前から、うちの子供達を見下していたこと。

友達とか仲良くしてくれてありがとう、なんて言っていたけれど、実は私と張り合って、マウントとっていたこと。

けどそれを認めたくなかったんだよね。長年の友達を悪く思いたくなかったし、ただでさえ友達が少ないのに、もっと減らすような感情を持つのはって。

どうしても「友達は多ければ多いほど良い」と言う刷り込みから抜け出せない私。

 

けど、この人と付き合い続けても、会うたびに私が話した子供の反抗期のことを冗談に包んで言い続けられるだろう。

何が嫌かって、信用して話したことを、自分を上げて、私をディスるネタに使われることが嫌なんだ。

 

私はインドネシアに引っ越すし、これを良い機会としてフェイドアウトしていこう。

やっぱり高校の時に感じた「この人の冗談は人を傷つける」という感は当たっていた。